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「見返り美人」の切手

更新日:2018年9月24日



私は切手を収集する趣味は持たないのですが、以前に世界の切手が紹介されてた本を手にしたことがあります。小さな紙の中に美しさやかわいらしさを表現したくなるのは、国に関係なくみんな同じなんだなと感心したのを覚えています。

きょう、4月20日は毎年、「切手趣味週間」にあたるそうです。昭和22年からはじまったもので、切手の美しさや芸術性、文化価値を広めようという取り組みだそう。今年の記念切手のデザインは、江戸時代の画家・尾形光琳の屏風「燕子花図屏風」(根津美術館蔵)。今日から郵便局で販売が始まったらしい。

そういえば、江戸時代の浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の代表作、「見返り美人図」を図案化した切手を見たことがあったとふと思い出して、本棚を探したら、一枚出てきた。

「見返り美人」切手は、切手趣味週間の第2年目の品で、昭和23年に発行されました。発行枚数が150万枚と少なかったため、葉書に貼られると郵送の途中でも剥がされたというほどの人気ぶり。 昭和30年代前後は日本国内で切手収集のブームがあったという。切手ブームの事はこちらを読むと面白いです。

記念切手収集を趣味にしている人たちにとって「見返り美人」切手は、当時の象徴的でもあり、現在も高値で取引されるクラシカルな切手。また、この切手は日本で発行されたすべての切手の中でサイズが最大である。浮世絵の見返り美人図はカラフルな着物の柄が印象的だが、切手はセピアの単色。この意匠の意図はなんだったのだろうか。

あ、なぜここで見返り美人の切手について書いているのかですか?それは菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は保田出身の人物だからなんです。はい。

見返り美人図の作者である菱川師宣は、江戸時代初期1630年ころに保田の海岸近くにある縫箔師(ぬいはくし)の家に生まれました。家業を学び、縫箔師として仕事をしながら絵を描いていたというので表現欲あふれた人だったろうと思います。やがて、江戸にでてからは本格的に絵師となりました。当時江戸は華やかで活気ある「浮世」の大都市となっていました。師宣は吉原遊郭や歌舞伎など人の集まる場所に行っては町場のカルチャーを観察し、スケッチしたようです。流行の髪型、服の着こなし、しぐさ。いろいろ見たのでしょう。江戸の路上観察者、はたまたファッション誌編集者といったところでしょうか。師宣はその取材を基に本を出版しました。役者や吉原の評判記で、当時の街場の娯楽メディアとしてうけたようです。これらの本は、それまで出版されていた本が文字をメインにしていたのに対し、自らの絵画をメインにしました。また、絵画そのものが高価であった当時、町人大衆が親しめるようにと、版画という手法を用いました。この版画という手法を用いたことが、師宣が「浮世絵の開祖」と呼ばれる所以です。これって、出版界のイノベーターとでも言えるんじゃないでしょうか。

ちょっと余談ですが、、縫箔師の仕事は和服などの布地に刺繍や箔押しをして柄を作ること。師宣は幼いころから父の仕事を見ながら、テキスタイルデザインや平面意匠における感性を磨いたのでしょう。昭和初期まで保田駅から海のあたりには、たくさん綿花や藍がたくさん植わっており、紺屋(そめもの屋)があったといいます。昔は藍や綿花畑の肥料は干したイワシだったため、港町と前近代の布の生産には地勢的な関係があると聞いたことがあります。古くから保田の町には分業で服を作る店があったのでしょう。縫箔は衣服を作る上で見栄えの部分でしょうが、当時の保田や南房総でどの程度商売になっていたのだろうかと気になるところです。あるいは、保田は船を使えば房州最北の港町、江戸といちばん近い街でもありました。ひょっとすると、家業は江戸の人たちの着る服を扱っていたのでしょうか。とすると、幼いころに江戸の空気を感じとっていたことが、後に江戸のカルチャーの中で活躍する役割を担ったかもなどと妄想してしまいます。

さて、見返り美人図についてですが、あの作品は版画でなく、肉筆画。師宣晩年に描かれました。現在は東京国立博物館に収蔵されています。この絵が発表されたとき「師宣の描く美女こそ江戸の女だ!」と大絶賛されたと言われています。想像するに、師宣は、ある一定の江戸カルチャーの中心付近にいて、見方によっては時代の寵児という側面もあったかもしれません。そのようなスタンスにあった、師宣は、見返り美人図の署名にこのように記しているんです。

「房陽 菱川友竹筆」

房陽の「房」は故郷、房州のことだといいます。また、晩年には保田の菩提寺に梵鐘を寄進したのだとか。師宣さん、いい男です。

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