この辺の海岸は、夕景がきれいだ。一面オレンジの夕焼け空、はるか遠くにくっきりとシルエットを浮かべる富士山。こんな景色に車を止めて、カメラを構える人も多い。車を見るとだいたい他県ナンバーだったりする。
夕日も美しいけれど、私は朝の海岸も好きだ。夕暮れ時には逆光でつぶれてしまう景色が、立ち上がって鮮やかに見える。
葉先まで朝陽があたった繊細な松の木が、砂浜に影を伸ばしている景色なんて、見ているだけで、気分がすっきりするよ!
100年くらい前から、この辺りには別荘がたち始めた。別荘を建てたのは、学者たちが多かったようだ。別荘人のことをひとりひとり調べてみたら、茶の湯や古美術界に精通した研究者や、ドイツビールを好んだ工学博士、科学ジャーナリズムや進化学の一線で活躍した頑固な生物学者、ラジオ無線機を愛した実業家など、スケールの大きい個性豊かな面々だ。それぞれ保田の生活、時間を自適に楽しみながら交流していたという。
別荘人の中には地域の小学校で子どもたちとふれあったり、地元の子どもの名付け親になったりした人もいた。そんな交流があった時代にあこがれやロマンを感じる。できるものならそのころにタイムスリップしてみたい。
もう使われなくなったものもあるが、まだ別荘として使われ続けているのもあって、年に数回来る方たちと会っていろいろお話をするのが私の楽しみになっている。
親戚の家の蔵の中にかれこれ20年近くほっぽらかしてあった、古いロードバイクをもらって、きれいにして乗っている。華奢なフレームの感じと、ところどころはがれている塗装が、気に入っている。
国道は道幅が狭いから乗りにくいけれど、ひとたび浜沿いの道に入ってしまえば、地元の人が散歩しているくらいなもんで、快適に走れる。
出勤して、ホテルのカフェのカウンターでコーヒーを入れていたら、朝食を終えたお客さんが「君は朝海沿いを自転車に乗っていたよね、あれはいいやつだよ、大事に乗ってやったほうがいいよ」と言ってきた。長年ロードバイクを趣味にしているという中年男性だった。
メカや車種に詳しくはないたちだから、恐縮ながら、ちょっと嬉しくなった。
鋸山から切り出した石は通称「房州石」と呼ばれる。古い別荘や民家には、塀や門柱、基礎石などに建材として使われていることがある。岩質の粗さがノイジーで独特な経年の味わいを醸し出すんだ。
この辺りに別荘を構えた人や移り住んだ人が残した古い本たち。学者が記したものが多くて、専門的で難しいものもある。そんななかで、新しい価値観にふれるような、素敵な文章にも出会うことがあった。
それらは彼らが残してくれた地域の置き土産のようにも思うし、なにより文章との出会いを、よりよい生き方の糧にしたいと思う。
千倉のカフェの主人が「カリフォルニアのモントレーの17マイルドライブは理想郷のようなところだった、行ったほうがいいよ。」と教えてくれた。
その数年後、学生時代に友人とカリフォルニアを旅行して、17マイルドライブを走った。無垢な海岸線の自然は本当に気持ちがよかった。途中、松の木と少しくねくねした道があって、そのあたりの質感が、「地元と似てんなぁ」と思った。その瞬間、モントレーの海岸に立ちながら、頭はたしかに太平洋を越えて房総半島の保田とつながっていた。
家の近くの短い海岸線で自転車のペダルをこいでいると、たまに17マイルドライブを思い出すことがある。だから、この道は勝手に「1マイルドライブ」と名付けた。独り遊びです。
娘が自転車に乗れるようになってきたので、もう少ししたら一緒に走るのがこのところのちょっとした夢です。
ハワイ音楽のひとつ「スラッキーギター」の祖と呼ばれる、ギャビー・パヒヌイが好きだ。彼は伝統と文化を愛し、表現した男だと思う。奔放で放浪的な性格のギャビーは、彼の家の裏庭に集まる友人たちと演奏を楽しんでいていた。この裏庭の音楽会は、やがてスラッキーギターという音楽ジャンルとして復活し、西洋化や土地開発で消えて行くハワイ独自の文化の復興につながった。
ギャビーのアルバムに「ラビットアイランドミュージックフェスティバル」というのがある。ギャビーの家の近くのに浮かぶ離島、ラビットアイランドで息子や仲間たちと演奏して作り上げた名盤だ。鳥の声なんかも入っていて、自然の中、のびやかに楽しんでいる空気がスピーカーから広がる。演奏が好きな知人たちと一緒に演奏したら気持ちよいだろうな、なんて沖の無人島をみながら思っている。
水仙が道沿いにたくさん植えられている観光名所があるけど、そこ以外のところでも、土手や畔にも水仙をよく見かける。江戸時代から産地だったというけど、長い時間かけていろんなところに広がったのかな。
鋸山は高い山じゃないから大したことないだろうと思って観光に来る人がいるようだけど、山内の名所はどこも階段で移動しなくちゃいけなくて、その階段の勾配はどこも結構きつい。そのせいか階段の途中でヒイヒイ言っている人をよく見かける。とくにヒールを履いた若い女性とかはお気の毒。鋸山って、東京タワーより低いんだけど、そんなところがいいんだと思う。
鋸山の観光ロープウェイの駅の屋上は、見晴らしがよくて、お客が多い。
誰もいなくて静かな時に耳を澄ましていると、麓の元名海岸の波音が小さな音で響いて山を立ち昇ってくるような気がする。
戦前の保田は海水浴の人たちで相当な賑わいだったらしい。いまから80年くらい前の写真。駅前の写真館の主人からいただいたもの。誰だかわからないけれど、きっと家族で夏の思い出に、地元の写真館に撮ってもらったんだろう。みんないい表情しているな。やっぱり海はこうでなくちゃ。
ここに写っている人たちには、この日がきっと思い出になったんだろうな。
家の界隈に残る古い別荘群についてのいわれを、現在の家主や、書籍、近所の高齢者たちから聞いたりして調べてきた。取材の途中では思いがけないエピソードに遭遇することがあって、それもまたやりがいの一つ。
数年前に幼馴染のおばあちゃんに話を聞きに行ったときのこと。その家には、小学校のころからファミコンをやりに行っていた。たいてい夕飯前まで熱中して、おばあちゃんは、いつも閉まっている扉の向こうの部屋にいた。取材を終えた後、おばあちゃんが「こっちに来てみな」というので、ついていくと、例の扉の向こうの部屋に案内された。おばあちゃんは、「私はね、生まれてから80年ちょっと、別のところに住んだことはないけど、ここが世界で一番きれいなとこだと思ってきたんだよ、見てみな」と言って窓を開けた。窓枠は、海岸にある松の枝と夕景を、絵画のように切り取っていた。
自分がゲームに夢中になっていたあの時も、おばあちゃんは隣の部屋でこんなことを思っていたのかもしれないと思うと、なんだかぐっと来た。