千葉市稲毛区にある 「千葉市民ギャラリーいなげ」をたずねた。市民向けに企画展の開催、ワークショップや講座の実施などを行う市営の文化施設だ。このギャラリーのある稲毛海岸という所は、明治期から、海浜保養地、別荘地として賑わった土地だ。同ギャラリーでは土地柄にまつわる歴史や文化を調べ、発信している。敷地には展示会などを行うギャラリーの建物と古い洋館がある。ギャラリーの建物は、とある会社の保養所として建てられたものを使っており、洋館は、浅草の「神谷バー」で知られる、初代神谷伝兵衛(1856~1922)が、大正7年に、来賓用の別荘として建てたものだという。
学芸員の行木さんの案内で、洋館を案内していただいた。ロッジア風のエントランスから、一階に入ると、洋風造りの空間が広がる。漆喰が気持ちよく、ヘリボーンのような寄木細工の床が美しい。螺旋階段を上り、和風造りの2階に行った。2階の床の間にはワイン王の異名をとった神谷氏らしい葡萄の巨木が床柱に使われていて、見ごたえがあった。
たてものの謂れや、稲毛の古い写真や絵葉書、当時の様子を伝える資料を見せてもらいながらお話を伺った。ギャラリーの敷地は、海岸段丘の上にある。丘の下は古くから海岸線が続いていたが、昭和30年代に台規模な埋め立てが京葉地区にはじまり、現在は、ギャラリーの前は2車線国道と、マンションなどが立ち並んでいる。埋立地を2キロほど行くと砂浜がある。埋め立て以前、海岸には通年型の「海の家」のようなものがあり、納涼台があったという。
同ギャラリーは、私が保田のことを調べ始める以前から、地元稲毛海岸の郷土史を調べ発信をしていた。これまでに数度訪れているが、対象としている時代性もテーマもほぼ重なりあい、大変参考になる。保田も稲毛も東京湾に面した同じ房総半島の海岸地。それぞれの郷土史や地域のエピソードを見てみると、房総半島の性格が見えてくるような気がする。
同ギャラリーが編集・発行している、稲毛の海浜文化史を紹介する読み物「海気通信」はこちらから。
---追記---
浅草の神谷バーで作られ今でも売られているカクテル「電気ブラン」。明治15年に創りだされてから浅草を訪れる人たちに好まれて来たらしい。私はその存在は知っているがまだ飲んだことはない。ギャラリーをおとずれた日、私は奇遇にも祖父に貰った古いマフラーをしていた。このマフラーは祖父が昔東京にいた時に浅草であたりで買ったものだという。洋館の中でこの事に気付いてちょっとタイムトンネル感を覚え、ひとりほくそ笑んだ。電気ブラン、稲毛の洋館で飲んでみたい。
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