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川瀬巴水の版画作品 『石積む舟(房州)』

更新日:2018年9月24日



鋸山は、房州石と呼ばれる石材の産地だった。房州石の産出は、江戸時代からはじまったとされ、明治時代には横浜港の開発資材に用いられるなど、京浜方面に出荷された。その後は東京などにも流通した。大正時代にセメントが土木材として出回ると需要が低下。戦後には栃木の大谷石が広く出回るようになり、房州石の産出は1980年代に途絶えた。房州石の採掘場は鋸山の北壁(富津市金谷側)と、南壁(鋸南町保田の元名)に点在していた。各所で採掘された石材は地名をとり「金谷石」「元名石」などと呼ばれた。特に金谷側は石質がよく、大規模な操業が行われた。金谷側の採石跡の奇観は、現在も鋸山を訪れる人を驚かせる名所となっている。 木版画家の川瀬巴水(かわせはすい・1883-1957)は、鋸山突端の鐘明岬(みょうがねみさき)の風景を描いた版画作品を残している。作品名は『石積む舟(房州)』といい、石材を運ぶ石切人夫の姿が描かれている。採石の様子を伝える資料は、金谷側に比べ保田側のものはあまり残っていない。この作品は、保田における採石業の様子を伝える貴重なものだろう。 川瀬は、衰退した日本の浮世絵版画を復興させようと、新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られ、「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。近代風景版画の第一人者で、日本各地を旅し写生した絵をもとにした版画作品を「旅みやげ」シリーズ(全3集)とうたい、多数発表した。川瀬はアメリカの鑑定家に紹介されたことで、欧米で高い評価を受け、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気があるという。 『石積む舟(房州)』は、旅みやげの第一集(全16図)のうちの一つで、1920年(大正9)に作られた。この年は鉄道保田駅が開業し3年後、大勢の避暑客が来保し、賑わいが加速していった時期だ。描かれている人夫は、前傾姿勢で下を向き、切り出された大きな石材を背負っている。足取りは重そうだ。いっぽう船頭は、しゃんとしていて軽やかな佇まいだ。 石切人夫「あぁ、もう少しで石を下ろせるぞ。いやぁ重てぇこと!」 船頭「はーいご苦労さん、その石でまだ半分だぞー。今日は天気がいいなぁ」 こんな会話が聞こえてきそうだ。 2人の対比を、夏を思わせる雲と明るく澄んだ海と空の青色が大らかに包み込んでいる。他の作品に比べ絵のタッチがやさしい感じになっている気がするが、それも情景のムードに合っている気がする。遠くに描かれている島は田中一村も描いた浮島。その向こうは富浦の山だろう。

 

元名海岸在住で、近隣の歴史に精通している山崎さん(81歳)を訪ね、作品について聞いてみた。 山崎さん:「この絵の場所は今の鋸山有料登山道下から北に50メートルほど行ったあたりの岩場だと思う。私の親父も鋸山で石切りをやっていて、あのあたりには保田側の採石場から切り出した石を沢伝いに運び出す車力道(しゃりきみち)があった。私の小さいころには岩場にトロッコが来ていた。」 ※作品画像は国立国会図書館デジタルコレクションから転載しました。

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