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保田駅のショヌりィンドり



保田駅の改札の脇には叀びたショヌりィンドりがある。现い䞞倪で骚が組たれ、駅舎の埅合宀の壁面に䜜り付けになっおいお、偎面は薄い挆喰の壁、庇が出おいる。なかには畳分のゎザが敷かれおいお、倩井は網代網になっおいる。ショヌりィンドりずいうより食り棚ずいう颚情。玠朎でほのかに数寄感のある意匠。この䜇たいがずおも気に入っおいる。


このような食り棚は隣駅の安房勝山駅ず浜金谷駅にはない。完党に建お盎されおしたっおいる駅もあるが、珟圚のずころ南房総の駅では恐らく他にはないだろう。保田駅ができたのは、倧正幎。この棚は぀くりからしお同幎代に䜜られたず思われる。明治以来、保田は汜船を䜿った避暑客でにぎわう海蟺の町であったが、東京からの鉄道開通を機にそのにぎわいは加速しおいく。近所になった保田ぞは倚くの人が陞路で蚪れ、滞圚し、別荘を構えたりする人が出はじめた。昭和初期には軜井沢や倧磯ず䞊ぶほどの避暑・海氎济客たちが蚪れおいたずいう。


この食り棚は、圓時の様子を䌝える貎重な存圚ではないかず思う。華奢で幎季の入ったその姿は、たるで保田を行きかう人々を眺め続けおきた叀老のようなだが、珟圹で䜿われおいる。おずずい芋たずきには、倩井からはケミカルな玠材の藀の花の造花が垂れおいお、ゎザの䞊にはカ゚ルちゃんがのんきに暪になっおいた。梅雚を前にした季節感が衚珟されおいた。


いたもこうしお誰かが䜿い継いでいるこず自䜓にゞヌンず来おしたう。ひっそりずしたものだけれど、確実にこれは保田の文化遺産だず思う。

もおなしずは、こういうこずの積み重ねなんだろうな。ここにも保田らしい文化を芋぀けたゟ。

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昚幎、このあたりにひどい被害をもたらした台颚号の名前が、「房総半島台颚」ず呜名されたのが先月のこずだった。台颚以降の私は、台颚のこずを振り返るよりも、次なる衚珟い぀もどうり牛歩か぀地味ではありたすがを順次進めおいくこずの方を優先しおきた。その甲斐あっおか、今たで知らなかった保田にか぀おあった別荘の゚ピ゜ヌドを倚数知るこずができたりず発芋が続いおいる。 少し前に知人から「連茉を持った雑誌で台

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