2013年に廃刊になった「TRANSWORLD SURF」というサーフィンの雑誌がある。2012年6月号は、カリブ海やブルガリア、アイスランドなど世界各地でのサーフツアーが特集されていて、表紙はインドネシアのとある海岸で板切れで波乗りを楽しむ男の子の写真で飾られている。オーストラリアの写真家Brad Mastersの写した一枚。水のしぶきが語る疾走感と、彼のストーク度合いが伝わってくる写真だ。私自身楽しんでいる波乗りあそび「板子乗り」と何ら変わりない光景だ。
今から90から80年ほど前の保田の海を写した古い絵葉書には、真っ黒に日焼けした子どもたちが船の底板を抱え板子乗りを楽しんでいるが、その姿はこの表紙の男の子と重なる。保田の子どもたちもこのように興奮して波乗りを楽しんでいたに違いない。
この雑誌に限った事でなく、白人のサーファーがアジアを巡る様子を納めたサーフムービーや雑誌では、現地の子どもたちが、魔法使いのように波の上を移動するサーファーの姿に驚く様子がしばしば描かれる。その描写は浮力と操作性を求め、素材や形状を科学的に進化させていった「現代のサーフィン」の姿と原始・原初的な波乗り遊びの姿の交点といえる。その交点は進んでいるとか劣っているとかということではなくて、逆に波に乗るという行為そのものの「楽しさ・面白さ・美しさ」を炙り出す。
一般にサーフィンの進化や歴史を紹介するのものには、古代ハワイの王朝時代から土着の人が「オロ」や「キオコ」といった木製の板で乗り始めたものをそのルーツと語ることが多いが、人間目の前に波があって、板があれば「どれ、乗ってみっか」と本能的に楽もうというスイッチが入るのではないだろうか?新旧を問わずその原初には「楽しみたい」という本能的欲求がある。要はその人自身がどう楽しむかじゃないだろうか。
昨日は、鴨川の海でサーフボードでの波乗りを楽しんできた。久しぶりのパドルが少し疲れたけれど、波の上をすべり、海水に浮かび、浸かり、海の感触や質感を楽しむことができ、幸せだった。板子乗りとサーフィンそれぞれに適した海で楽しもうと思った。
私の場合、保田はやっぱり板子かな!
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