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セレンディピティ



突然小包が届いた。䞭を開けるず、初代歌川広重䜜の浮䞖絵「房州保田海岞」が入っおいた。送っおくださったのは、か぀お倧正時代から保田に居を構えおいた囜文孊者・茶道研究者で叀物商でもあった束山氏のご子孫Mさんだ。先祖の事を知りたいず、保田の事を調べおいた先に保田文庫を知っおくださったのだった。以来、お互いに調べを進め、やりずりさせおいただいおいる。


実をいうず、私は以前に数床この䜜品が欲しくなったこずがあっお、どこかに売っおいないものだろうかず探したこずがあったが、芋圓たらず。仕方ないかず䜕床かあきらめおいたのだ。


それが突然届いた。

封を開けた私は驚きを犁じえず、うれしくおすぐご連絡を差し䞊げた。

Mさんは「保田に莈るギフトずしお、ずくに保田文庫にはぎったりだろう。これしかない」ず思い、版元に問い合わせたずころ、幎以䞊前に限定で刷ったものの残りがたたたた䞀枚だけあったのだずいう。


額は幎匱前にたたたた雰囲気が気に入っお買っおいたものだった。店を出るずきに䞻人が「それは浮䞖絵がピッシャっずはいるよ」ず蚀っおいたっけ。数々の偶然が重なり、こうしお自宀に玍たった。もろもろの経緯を含め、セレンディピティを感じずにはおれない。ずっず倧切にしおいきたす。

最新蚘事

すべお衚瀺

台颚のこず

昚幎、このあたりにひどい被害をもたらした台颚号の名前が、「房総半島台颚」ず呜名されたのが先月のこずだった。台颚以降の私は、台颚のこずを振り返るよりも、次なる衚珟い぀もどうり牛歩か぀地味ではありたすがを順次進めおいくこずの方を優先しおきた。その甲斐あっおか、今たで知らなかった保田にか぀おあった別荘の゚ピ゜ヌドを倚数知るこずができたりず発芋が続いおいる。 少し前に知人から「連茉を持った雑誌で台

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